説明
那智の滝と熊野の聖地、それは、奈良・生駒・吉野・高野山をつなぐ秘教の響き。
日本の山々、森、滝、神社、寺院には、長い年月にわたって受け継がれてきた祈りと修行があり、自然と人間の意識が深く関わり合ってきた歴史があります。
今回の2日間のセミナーでは、日本の聖なる風景を通して、私たち自身の内にある本来の意識と出会う可能性を探求していきます。
その中心となるのは、古くから信仰の対象とされてきた那智の滝、そして熊野三山です。
千年以上にわたり、巡礼者、仏教の修行者、山伏、そして真理を求める人々が、この地を訪れてきました。
熊野へと続く古道は、吉野や高野山とも結びつき、神道、仏教、真言密教、修験道、そして自然そのものとの深い関係を伝えています。
しかし、今回のセミナーの目的は、こうした歴史や文化について知識を増やすことだけではありません。
聖地について知ることから、聖地とその波動に、直接出会うことへ、、、
そこから、私たちの探求が始まります。
◯ 写真や実体験を通して出会う熊野
今回のセミナーでは、叡潤(ビル)、聖賢(アナ)、そして聖賢の徒弟の一人が、熊野を訪れた際に撮影した、貴重な写真の数々をご紹介します。
山々、深い森、鳥居、神社、流れ落ちる水、そして那智の滝。
これらの写真は、単なる風景の紹介ではありません。
私たちが、自分自身の直接体験へと開いていくための「足場(スキャフォールディング)」となります。
また、叡潤が那智の滝の展望所で行った瞑想を含め、実際に現地を訪れた際の体験も分かち合います。
写真、瞑想、密教の教え、そして静寂を通して、私たちは一つの問いに向き合います。
ある場所が神聖なのは、私たちがそれを神聖だと認識するからでしょうか。
それとも、神聖さとは、もともと日常から切り離されていなかった何かを明らかにするものなのでしょうか。
答えを急ぐ必要はありません。
大切なのは、信じることでも、信じないことでもなく、直接出会うことです。
【 セミナーで行うこと】
第1日 聖なる風景との出会い
― 山・森・水・響き・プレゼンス(存在) ―
奈良、生駒、吉野、高野山、熊野を結ぶ聖なる地理と、その歴史的・スピリチュアルなつながりを探求します。
熊野三山の歴史、那智の滝、そして自然と人間の意識との関係について、写真や実体験を通して理解を深めます。
さらに瞑想によって、山、森、水の響きに直接触れていきます。
名前を与える前、意味を考える前、そこには何があるのでしょうか。
ただ風景を見ることから、風景と直接出会うことへと探求を深めます。
第2日 滝の響きとひとつの場
― 平等(サマター)・不二(アドヴァヤ)、そしてその先へ ―
那智の滝での実体験と瞑想を手がかりとして、さらに深い探求へと進みます。
神聖なものと日常的なもの。
内側と外側。
見る者と見られるもの。
これらの区別は、どこから生まれるのでしょうか。
真言密教の理解にも触れながら、サマター(平等)とアドヴァヤ(不二)を、知識としてではなく、瞑想を通して直接体験しながら探求していきます。
滝は私たちを導く足場となります。
そして最後には、その足場さえも手放していく可能性を秘めています。
聖地で出会ったものは、日常生活に戻ると失われてしまうのでしょうか。
それとも、今この瞬間にも、同じ本来のあり方が現れているのでしょうか。
【このセミナーからオープンにする可能性】
このセミナーに参加することで、次のような気づきや体験が生まれるかもしれません。
– 自然と意識、そして「場(フィールド)」との関係に対する感受性が深まる
– 日本の聖地を結ぶ歴史的・スピリチュアルなつながりについて、新たな理解が生まれる
– 写真、音、波動を、習慣的な解釈を超えて体験する機会を得る
– サマター(平等)とアドヴァヤ(不二)を、瞑想を通して直接探求する
– 特別な場所だけでなく、日常の中にも神聖さを見いだす可能性にオープンになる
このセミナーは、特定の体験や悟りを得ることを求めるものではありません。
一人ひとりの直接体験を大切にしていきます。
流れるもの、変わらぬもの、そして、それらが一つであるということ。
那智の滝を流れる水は、一瞬たりとも同じではありません。
それでも、私たちはそこに「那智の滝」を見ています。
このセミナーは、この聖なる風景との出会いを通して、、、
自分自身やリアリティ・現実とは何か、
そして人生のストーリーやシナリオを超えた、
意識の本来のあり方とは何かに触れる、目覚ましい機会となるでしょう。
ご一緒に、これらの波動を探求できることを楽しみにしています。



