説明
ここでは、光として生きるために必要な詳細な部分を感じるための感覚をオープンになります。光の体験の流れに存在したり、光の自己として呼応したり、光と共にに発明したり、光として生きることなどが、そこに含まれています。
私自身は、それはついに故郷を垣間見るような体験をしました。欠けるものの無い完全さや、進化しながらも平安であり、自分が理解され愛されている感覚でした。その深みを、「光として生きる:地上の人生を超えて」セミナーでご一緒に探ります。
私たちには、今、高次の光へのポータル(入口)を使って、新たな光に生きるチャンスが訪れています。地上の世界を超えた人生を体験することができるのです。しかも、より膨大な存在である自己を生きることが可能であることを、知っている自分がいるのです。
セミナーでは、自己の人生とは何か、リアリティ(現実)とは何かを、探る手助けをしてくれる、極めて興味深い高次の存在にも働きかけます。
瞑想ごとに、より高次の光を体験する能力を伸ばしていきます。ビルとアナや高次の存在達が、「遥か彼方」の波動をトランスミッションしますが、それを使って、地上における人生を、より高次のリアリティから感じ取る能力を進化させていきます。それを通じて、物事の見方を柔軟にシフトさせていきます。それを、他のエネルギーや思考の次元から新たなスペースをオープンにするような方法で行います。
【受講者のご感想】
久しぶりの参加でした。ライトボディの覚醒化をやり始めて来月初旬でまる25年になります。ダベンの瞑想はルミナスボディ等いままでいくつか参加していますが、ライブでも教材でも何回も瞑想していても寝てしまっていてよくわからなかったり、混乱したり、高度だな難しいなと感情が騒いだりしていることが多く、日常で生かすまでも行かずに自分の瞑想技術を責めたりしていましたが、今回は全くそのような次元とは異なり、瞑想後に肉体のある次元に戻った後、深いところでしっくりしている、すぅすぅしているというか、瞑想を感覚やイメージ主流ではなく深い元のところで楽しめたような印象があります。日常にも瞑想での光の細やかさや繊細さを探る何かが自分の内面での元で働いているなと思います。自分の感覚や反応や考えに依存した生き方や状態から脱した、生きる源を探る、そして見出すところからの豊かさで生きるという「生きる本質」というか本質的なところをさらに見出していく、そんな瞑想だった気がします。探るところも果てしない遠くにあるというよりずっと身近にあるというシンプルな印象。ライトボディの覚醒化をするころからずっとあったのだなという印象でした。ダベンの瞑想は探求の瞑想というより探究の瞑想という表現が合うと思います。「意識を広げていく」「求めることと形にしていく」という表現の捉え方がこの25年でかなり変わってきたなと思います。同時に「グリットワーク」「コネクション」の言葉の捉え方もかなり変わってきたかなと思います。本質的なところを知りたくなる、見出したくなる、そこから生きたくなる・・・その流れをつくるダベンの瞑想なのかなと現時点では捉えています。ルミネッセンスやキャッスルインザスカイが提供するダベンの瞑想のスタートラインに25年でやっと立てたかなという感想です。後半も楽しみにしています。
誘導瞑想の中には意識を失ってしまったものもありましたが、身体のレベルの自分に執着していたことを体験から感じました。
今後、自分の捉え方や感じ方が変化していくような気がします。意識を身体のレベルに表現する方法について、新たな可能性を感じました。
愛に溢れた平安さの中にいる自分を体験し、感謝の気持ちが湧きました。ありがとうございました。