説明
これは、サネヤ・ローマン氏とガイド・オリンのティーチングです。
ここでは、聖なる自己がもつ美や喜びや、生き生きとした感覚や、自由さや光を体験する方法を学びます。
それは、日々の活動や、仕事や人間関係や、自信や自己価値から、様々な場面における平安さや調和まで、人生の様々な分野に、より良い状態をもたらすことを意味します。
これらの技能は、心の奥深くの夢を実現させるような、枠組みや形を創り出す助けとなるでしょう。
「クリエイティング・マネー」から大きな飛躍をしたオリンのティーチングです。
最高のものを形にする時のコツは、自分が形にしたいものがある次元ではなく、そこより高いレベルに立ち、形を超えた有り様を体験することです。そうすることで、より高次のエネルギーが反映されたものを、形にすることができます。
執着心や欲望のレベルから、形にしたものは、みなさん自身が成長してくると、もはや求めるものでなくなることも多々あります。
意識を、神聖なる世界に移行させ、その次元から形にするプロセスを行う時、それは、みなさんの「真正の自己」を反映させるものとなり、源泉とワンネスのエネルギーに満たされた形を取ることでしょう。
さあ、いよいよ、神聖なるものを、あなたの日常に形にする番です。このチャンスを、お見逃しなく。
ここで学んだ7つの意志を使って物事を形にするマスターになりたいと言う方は、2024年8月のパート2である、『オリンの神聖なる意志を使って物事を形にする:物事を形にするマスターになる』もどうぞ。
【受講者のご感想】
5月の「存在の深みセミナー」以降、本日のセミナーまでに、夢で生駒の天地寺の大日如来尊が登場されたり、咳が激しく声が出ないほど体調を崩したりと色々とありましたが、身体と意識や身口意・・・ect、バランス、調和を求めて、かなり過酷な状況になってました。月曜日くらいから体調も回復を感じ始め、週末に夏至と満月を迎え、このタイミングでこのセミナーを受講できて嬉しく思っています。一つ一つの瞑想が長かったので意識を失うこともありました。ですが、長いということだけが理由ではない感じもしました。本日の最後の瞑想は、意識は飛びませんでしたし、最後の瞑想を終えると、畑の土が栄養をたっぷりと蓄えて、柔らかくふわふわになり、種が育つ地盤が整ったような感覚になりました。身体、精神にも隙間のようなものが生まれた感じがして、新しい意識と共に変化成長していける。そんな気持ちになりました。セミナーを開催いただき、ありがとうございました。明日から日常での変化を楽しみに過ごしたいと思います。
週末のオリンの瞑想による変化が顕れました。
主人は大のスピリチュアル嫌い、宗教嫌い、神様嫌い、瞑想嫌いの人ですが、今朝突然、「出雲大社ってどういう所?」と私に尋ねるのです。
最初は橋について聞いてきたのですが、私が以前に出雲大社を訪れた時のエネルギーの印象を、伊勢神宮のエネルギーと比較して語りました。今までならそっぽを向いて聴いてないフリを最低限したところですが、今朝は違いました。最後まで「へえ!」という反応で一応耳を傾けて、特に拒絶したいような感じは見られませんでした。スピリチュアル嫌いの主人に対する私の感情を昨日の瞑想で手放したので、少なくとも、積極的に拒絶するという反応は無くなったのかも知れませんね。彼は彼のペースで独自の計画の中で進化しているんだと思えます。
今回のオリン、私が最も新鮮に感じて、これは大きなポータルをくぐったなと感じたのが調和のエネルギーでした。瞑想から戻ってきた後の自分のエネルギーが今まで体験したことがない感覚であることに気づきました。瞬間的には「今にも覚醒しちゃいそう!!」と感じました。向こう岸にある意識が地上にも他次元にも同時に存在する、という感覚でしょうか。そして、それを観察している意識と自分の思考も一致しているような。短い時間でしたけれど、その感覚の扉を更に開きたいなと思いました。とっても不思議で素敵な状態を体験しました。その時に思ったんです。この一連の瞑想を繰り返し行うと、目ざめの進行が一気に早まるなと。「シャクティ」も凄い瞑想ですが、このオリンの瞑想での体験はシャクティのセミナーを一度受講しているからこその体験かも知れないですね。一つの瞑想が終わるたびに「凄かったぁ!」と、内側にいる幾つものレベルの私が喜んでいました。インナーキッズたちは、近くで私を囲んで観察していました。
瞑想01
光の柱は光として見えませんでしたが、その代わりに自分の中心を貫くような白い構造物が存在していると感じられました。それを少し観察すると、頭上高くそそりたっており、先端が少し丸みのある尖った構造物でした。まるで白い独鈷杵のようでした。それが自分を縦方向に貫いてずっと存在し続けていると感じられました。
また、光の輪はいくつもは見えませんでしたが、瞑想の終盤に、意識の中心に集合していた光の粒子たちの真ん中に、5角形をした真っ白い固形物が現れました。それは、先日ビルさんが選んでくださった私用のクリスタルと類似した形で、先端が鋭く三角形に尖っていました。
光の輪は、最後に1つだけ、意識の中に大きく現れました。煙のような光でできていました。
ミニ瞑想
中心の柱に何度目かに入った時、アメリカ西部と思われる街を歩くカウボーイ姿の颯爽としたティーンエイジャーの女の子が現れました。このヴィジョンは、形にしたいことや、見たいテーマとは一見異なるのですが、瞑想から戻ってきた時に、その女の子のエッセンスを感じてみました。するとそれは、若さがみなぎるエネルギッシュな在り様でした。ハッと気づきました。最近の私は「もう自分はシニアだし、体力も落ちて来ているから、これから自分ができることは限られている」という思い込みに埋没し、本来なら流れよく弾けるはずのエネルギーを自ら押し込めていました。年齢は関係ない! 思考や思い込みのような不要なゴミを取り除けば、常に若々しいエネルギーに満ちることができるし、そこから行動することもできると、想いのリニューアルができました。また、何故そのような思い込みを持ってしまっていたかといえば、日本の社会的・文化的なところから来ていました。
瞑想05
意志4 :意識を保てないほど深いスペースに入りました。瞑想が終わると、今までにない質を感じていました。調和の新しいレベルを深いところで知ることができました。
瞑想06
意志5 :日常において無限の豊かさを信じることの妨げになっていたのは、母の思考とその背後にある彼女自身の歴史、社会的・文化的なものから来る思い込みを、私が子供の頃からが無意識に受け入れてしまった部分が大きかったことが判りました。それを炎で焼きました。母以外にも、多くの制限で自らを縛っている家族の思い込みも、長年の同居生活の中で私自身のものとするようになってしまっていたこと判ったので、それも炎で焼きました。すると、瞑想のスペースが一気に明るく照らし出されてきました。新しい思考を迎えることにオープンになった時、強く輝く光の源と、それを取り巻くように存在する輝く幾つもの光を体験することができました。こんなにも宇宙は明るかったんだな、豊かだったのだなと思いました。宇宙の無限の豊かさと不変性に自分が確かにリンクしたと思います。神聖な自己のスペースに入った時に、意識を手放せば手放すほど、そこから出て来た時の回答が明確に得られることが、この瞑想の体験で理解できました。
瞑想 07
意志6:様々な種を受け取り、自分が形にすることや想いやハートの中に植え付けました。知っている感覚を使って、自分の周りを取り囲むように複数種類の種を植えるということもしました。この瞑想は、特に私にとって気を散らさないためと、勇気をもつことに強く働きかけてくれると感じられます。黄金の光の粒子の集まりでできた炎(生きた意識)は、視界一杯に止まることなくダイナミックに燃えていました。この炎は、永遠に存在してきたのだなと感じます。
瞑想 08
意志7:落ち着いた瞑想でした。紫の炎を持ち込むと、不要なもの、気を散らすものを既に知っているという感覚になりました。紫の炎を意識する度に大天使ミカエルを思い起こしました。この炎はフォーカスを当てれば常にそこに現れて、神聖さをを取り戻すためと、神聖さをバージョンアップさせることに使うことができるのだと感じます。
エーテル体に過去の記憶が残っているということは初めて知りました。そこに炎をもたらすと具体的な過去のイベントは思い出しませんでしたが、意識がスーッとすっきりしたような気分でした。
今回のセミナ―では最初から最後まで、人生全般の目的にも、その計画の一部である日常の様々な瞬間の在り様にも全てに直接役立つ、使いやすいシステムを提供して頂いたと思います。