説明
物質の世界の背後には、それを生み出した精神やスピリットや光の世界があり、スピリットや光の世界の背後には、それをもたらした意識の世界が存在していると言う具合に、顕された世界の背後には、必ずそれを生み出した、まだ顕れていない世界、表現されていない世界が存在しています。そこには、可能性・願望・意図の段階、孕み、育み、誕生をもたらす世界が見出されます。
顕れた世界を、その存在の男性面だとすれば、まだ顕れていない世界は、女性面だと見ることができます。
人においても同様で、性別に関わらず、誰しもが男性面と女性面を備えています。
神々においては、女性面を女神と呼んだり、仏においては、◯◯◯女という名称や別名で表しています。いずれも、その存在を生み出した源泉の意識を示しています。
密教では、仏の男性面である顕れた世界を金剛界と称し、まだ生じていない段階を胎蔵(たいぞう)としています。
当然ですが、この男性面と女性面に、優劣や上下はありません。生み出す源泉があって、すべては表現され顕されているわけですがら、どちらかが欠けても存在することはできません。何かが存在するには、その両方の段階が必須です。ですからこの両者のバラスはとても大切です。
未生の世界が枯渇しても、顕された世界が軽んじられても、歪んだ世界になってしまいます。物質だけを重視して精神を無視しても、それが逆になっても、うまく行かなくなります。男尊女卑でも女尊男卑でも、このバランスは崩れてしまうからです。
このバランスが崩れると、分離感や孤立感、根源から断ち切られた虚無感が生まれます。人は、自分でいるだけで満たされると言う感覚を失ってしまいまい、それを補うために、個人レベルでは、パワハラやセクハラやいじめに走ったり、国レベルでは、権力闘争や戦争にエスカレートしたりします。
人類史上、この男女のバランスが、長らく失われた状態が続いており、それが、世界で戦争が絶えない理由の一つなのでしょうか。
今こそ、そのバランスを回復させるために、女神の意識に目覚める時がきました。
すべてのレベルにおいて女性面を目覚めさせる時です。
この2日間セミナーでは、この女性面の意識を、その源泉となる仏のレベルにまで遡り体験します。
セミナーでは、密教で宇宙の根源と見なされている大日如来と、その4つの側面を顕す4仏の女性面の波動にオープンになります。
特に女性面を顕すパワーとして、12のシャクティのエネルギーにもアクセスをします。
5仏の女性面、5大要素、12 のシャクティを通じて、真の自己がもつ女性面を目覚めさせるプロセスを行います。
このプロセスを通じて、何度もの生まれ変わりを通じても回復できなかったバランスを回復させる、貴重な機会が訪れるでしょう。
さあ、各人に宿る女神の意識を目覚めさせませんか。
シャクティ―のセミナー受講(東京)の体験談
セミナー全般のご感想
◯ シャクティ―のエネルギーは胎蔵曼荼羅のセミナーで一度体験していました。今回の東京でのライブ参加は、シャクティ―のエネルギーに触れる2回目でした。想像を遥かに超えたパワーに満ちたセミナーでした。奇跡のような体験です。今回敢えてライブ参加して良かったと思ったのは、特にセミナー2日目の午後でした。お話をされているアナさんに目を向けると、アナさんから強い光が放たれているのが判りました。普段はオーラが見えない私ですが、アナさんの体をクリアで強い光が覆っていて、更には中心から放射状に孔雀の大きな羽根を拡げたような無数の光線が放射されているのが見えていました。とても驚きました。次いで、周りの受講者達に目を向けると、上半身から頭頂までを半透明で青緑色のオーラが覆っているのがハッキリと見て取れました。青味の強さはそれぞれ異なりました。ただ共通していたのは、アナさんの場合には見えなかった頭頂オーラの「膨らみ」でした。受講者達の頭上のオーラは、仏像の頭のようにポコッと盛り上がっていたのです。盛り上がりの厚みはまちまちでした。アナさんがお昼休みに入る前に「他の人たちの見え方が変わっていると思いますので、それも意識に入れておくように」と仰っていたのはこのことかと、本当に驚いてしまいました。瞑想中ではないにも拘わらず、普段見えないものがいきなり明確に見え出したのです。後日アナさんに頭頂のオーラの膨らみについて質問したところ、それは仏像などの頭頂に見受けられるuṣṇīṣa(ウシュニーシャ、仏頂)だとお返事をいただきました。受講者の様々な意識の領域において、仏としての目覚めに向かう異なる段階を観察できていたと知り、更に驚いた次第です。胎蔵曼荼羅の釈迦院の仏頂尊の瞑想を探ると良いとのアドヴァイス頂いたので、ここから再度取り組もうと思います。 シャクティ―のセミナーが始まると直ぐに、内なる子供達が意識に入ってきました。内なる子供達も一緒に瞑想スペースに入りたいのだと感じました。今回のセミナーで、私は母性を育めるかも知れないという予感が一瞬よぎりました。
◯「シャクティの12のパワーを通じて内なる女神の意識を目覚めさせる」セミナーで12のパワーをピュアな波動に委ね体験するうちに、自分の始まりから解放を経て全てに至るというプロセスは進化、拡張するサイクルであるように感じました。
そのサイクルが自分自身に浸透していくと、心も身体も緩み全てと共に穏やかに在る自分を見つけることができました。セミナー後は、じわっと湧き出し広がる慶びに満たされ抱かれるような平安の中に在る自分を感じています。
日常生活を送る中で心配したり不安になったりするけれど、それを生み出し体験するのは、分離、良し悪し、執着、幻想等を使い、人としての“自分”という存在を確認しようと懸命にもがいている状態で、命(生命力)を持って人として存在することを選択した意味や目的を見失っている状態なのかもしれないと感じました。今回のセミナーでの体験を経て、求めるものや望みなど変化し、今まで見ていた景色が全く異なる景色に見えるような気もしています。
◯ 私は今年に入りまして、五仏とスタールビー、福禄寿セミナーに力を入れたいと思っていて、正直シャクティは始めの幾つかしか瞑想しておりませんでしたが、アップデートの為に東京セミナーを5日掛けて学ばせて頂きました。
先ず、顕著に現れたのは肉体的な変化です。
1日目を終えてその後の睡眠が(瞑想が楽しすぎて)興奮状態だったため2時間ほどしか眠れませんでした。この睡眠不足は、必ず起きてからは頭から足の裏まで全身が痛くなって鎮痛剤を飲んでいるのですが驚くことに身体が痛いどころか快適で、全く眠くもならず、1日中信じられない気持ちでした。それが瞑想した5日間の内、2回ありましたので、瞑想の影響だと思っております。それから私は元々身体がかなり柔軟な方なのですが、もっと柔軟になっていて驚きました。ここまで私は身体が柔らかかったっけ?笑と思うほどです。
導入部で、宇宙の胎内に入って行ってからプロセスが始まりますが今までに無いくらい穏やかで安心した空間に入っている感覚がありました。実は瞑想を始めて30数年ですが、いつも必ず緊張しながら瞑想に入るので私自身は意外でしたし、その後の瞑想にとても良い影響があるのがわかりました。
瞑想中は、日常で問題になっていることを何か選ぶときに、今までにないくらいすんなりと直ぐに思い浮かび、Anaさんが丁寧に細やかに、良し悪し、執着、幻想、分離を何度も様々なレベルで超えていく機会を作ってくださっていたので最後に向こう岸に行ってから受け取ることの出来る洞察がどの瞑想もとても明確で、達成感がありました。
勿論、今後繰り返し瞑想していくことで、更に深い洞察を得ていけるようになることを思うととても楽しみでもあります。
それから、今世、この人がいることで悟ることが出来ない、殆どのことで価値観が合わない、怒りや憤りが先行してしまって、冷静に見ることが出来ない、瞑想しても日常で会うと次の瞬間怒りが沸いてしまうような友人がおりまして(勿論良い時もあるのですが)このことを3つ目のパワーの瞑想で観てみたのですが、今までに感じていた慈愛とは感覚が違い言い方が難しいのですが、抵抗なく流れるようにプロセスを観ることが出来て初めてその相手が完璧な鏡を演じてくれていたことを認めることが出来ました。
それは本当に私にとっては宝となるような洞察でした。その翌日用事があって、その友人と連絡を取ったのですが、その方も私への接し方が全く変わっていて、お陰様でお互いに気持ちの良いやり取りが出来ました。
1つ目のパワーの瞑想
ここでは、幾つもの存在が現れ、印象的なスペースも体験しました。インドラのネット、未だ仏のエネルギーが宿る前の白い蓮の花に座した仏像、逆にパワフルなエネルギーを既に宿した金色と燻し金のような光を放つ仏が現れました。黄金の仏を目にした時の感覚は、既に仏に成るということを完了し、常時アドヴァヤ以上の感覚を持ち、原因というものを一切持たない存在だということでした。「静止する」という波動で振動すると、小さな泡のようなものが幾つか浮き上がった白壁のスペースに入りました。後でアナさんに質問すると、スペースで白壁(密集した泡)に現れる凹凸は、何かに意識が惹かれた時に現れる特徴とのことでした。ほんの少し日常のことが気にかかっていたのが瞑想で表現されたのだと思います。向こう岸に渡るとすっかり次元が異なり、エゴも原因もなく、意識はアドヴァヤそのものでした。アドヴァヤに至るために手放す4つの特徴が消滅した後の世界という感じです。この感覚を日常に持ってくるとどうなるか。他者に良し悪しを付けない、優劣をつける必要も原因すらも、もはや存在しないということだと思えました。実はこの瞑想の途中で、黒い衣を少しだけ身に着けた半裸の、長い黒髪を持つ一人の女性が現れて踊っていました。踊りは非常に緩慢で大きな動きです。後日メールで質問すると、ビルさんから「この存在はTemple dancerであり、聖なる流れを全身で反映させています。彼女の体や手足の動きは、単なる美しいだけの動きではなく、その所作の一つ一つが、流れを変えたり、流れに乗ったりする方法です。言い換えるとこの存在は、身体や物質のレベルにおける流れの1つの表現でもあります」とご回答がありました。聖なる次元を地上で表現する存在とは、何とも素敵だと思います。
2つ目のパワーの瞑想:
この瞑想によって、究極の豊かさは、欲しいという願いを持たず(持つ必要がなく)、何かを求めていない状態だということが理解できました。とても安らいだ境地にスッと入れました。安らぎと調和が広がります。「頑張る」というエネルギーではなく、安らいだまま自由でエネルギッシュなのです。向こう岸に渡ると、それは優雅という言葉では表し切れない感覚でした。何かを求める必要が全く無いという言葉で言い換えられそうです。これが究極の豊かさなのだなと思いました。この感覚を地上の日常に持ってくるとどうなるかを追いました。すると、ありのままに今を生き、安らぎながら喜びを感じながら今を駆け抜けることになるのが判りました。笑顔が絶えず、非常にエネルギッシュな内側の力を外の行動として表現していくのだと感じます。それが自らを最も育むことになるのも解りました。この瞑想では、アナさんの誘導には無かった、人間に備わっている五感を超えた感覚器官を使ってしまいましたが、次の瞑想からは誘導通りの仏のボディーを使うことにしました。それはシャクティ―の場合は仏の感覚器官を使うところから瞑想が始まるという、想像を超えたアプローチを敢えて採用されているというご説明があったからです。
3つ目のパワーの瞑想:
他者も自分も一つであり、自分が慈愛を感じていれば他者もまた慈愛を感じ得るということ、その共鳴がこれからは日常において普通のことになるのだと思えます。これまでの自分に欠落していたのは、本来の偏重しない宇宙的慈愛を以て、まずは個としての自分を愛するということでした。そして他者との間で、それを共鳴し合うことについて余りにも無意識かつ無頓着でした。ありのままの自身を愛し育む姿勢が十分ではなかったと知りました。人間の感覚器官を超えた意識を日常に持ち込むことによって、宇宙的な愛とワンネスの感覚が拡がり、目覚めた状態をキープできると思いました。
4つ目のパワーの瞑想:
今回のシャクティ―セミナーの中で、この瞑想のエネルギーが私にとって最も未知で、意識が遠のき易かったです。夢を見ているような感じすらしました。休息とオープニングからマインドの無い状態へと変化するエネルギーの瞑想のようでしたので、夢を見ている感じでも良かったみたいです。少しアレルギー鼻炎の症状が現れましたので、このエネルギーに馴染むには何度かこの瞑想をする必要がありそうです。
5つ目のパワーの瞑想:
この瞑想でも意識が相当深く入っていたと思います。掴みどころがない感覚が続いていました。ところが、このパワーを地上でどのように表現するかという最終段階に至ると、意識の中に家族が現れました。執着と批判したい気持ちなどが浮上しました。その原因となる底辺を探ると、自身が満たされたい、誰かに(何かに)満たされたいという渇望、老いと死を受け入れたくないというエゴの想い、変化したくないという偏重した見方と執着がありました。向こう岸に渡ると、際限なく広がるスペースに入っており、意識は完全な自立を体験しました。そこでは、拡大した意識のまま、特定のものに強く惹かれるということが無くなっていました。
6つ目のパワーの瞑想:
紺色の地に大きな金色の光の粒が数多く煌めいているスペースに入りました。途中、強く白い光に一瞬包まれる瞬間が2回ありました。理解を超えたエネルギーにずっと運ばれていた感覚が残っています。このパワーを地上でどのように表現するかという段階では、執着と「変わりたくない」という想いが再び浮上したので、それらを手放すことにしました。変化をありのままに受け入れる在り様。すると、内側から何かが湧き上がって拡がり、やがて確固とした幸福感に包まれたのです。とてもクリアな光が持つエネルギーと同じような特徴が感じ取れました。
7つ目のパワーの瞑想:
全ての中に美しさを見出したいという願望があることが判りました。向こう岸に渡ると全てが一つでした。大きな一つのバランスの中で、あらゆるものがリソースという名のエネルギーとして循環している在り様を観察しました。人間同士が何かを分かち合ったり交換したりするのは、全ての循環の一部です。自分が学んだもの、得たものも、実は宇宙のものであり皆のものであり、握って離さない方が良いものなど何ひとつ無いのだと悟りました。
8つ目のパワーの瞑想:
とても深いところに意識が及び、しばし留まっては少し戻り、また深みへ・・・という流れの瞑想となりました。真珠のような鈍い輝きを持つ白い球体(泡?)がびっしりと均等に埋め尽くしているスペースに入りました。その状態は揺るぎないものでした。ありのままの自分と、明るく楽しい喜びを表現しているようなマインドが構築されていると感じました。究極の生きる目的が、何か一つの行動を取ることだというのではなく、ありのままの存在としての在り様を表現すること、それが生まれてきた目的だと観察できました。向こう岸に渡る前は、高い解放感を味わっていました。ところが、向こう岸に渡ろうとすると体が抵抗しました。原因を探ると過去世からの影響でした。ある過去世では、スピリチュアルを極めようとして火あぶりの刑に処されたり、別の過去世ではそのために周囲から糾弾されて全てを失ったりしたことがこの瞑想によって明らかになりました。しかし、それは過去世であり、今では幻想に過ぎないと感じたら、あっという間に向こう岸に渡っていました。向こう岸では、スモーキー・クオーツとクリア・クオーツを半々に散りばめたような輝く衣を纏った女性が宙に浮いて現れました。「女神だ!」と思いました。その女神の意識と融合すると、ありのままの存在として大人になった気分でした。マインドと意識が統合された状態でシフトし、昇華したと感じられました。終始、美しい瞑想でした。
◯ 8つ目のパワーの瞑想では、自分が音楽家であることから、音楽について観てみたのですが、この瞑想で音楽というもの自体の認識が大きく自身の中で変容して、例えば物凄く小さなところで音楽とはこういうこと、そしてこのようにしか表現出来ない、と思っていたことが、もっと考えられないような次元や空間、ヴィジョンに繋がっていることが感じられ始めていて、これを書いている今でもそのことを感じると、大きな波のようなエネルギーが瞬時に繋がるのが感じられるようになっております。それと同時に音楽と自身が分離なく一つであるということを今までになく感じられて、自分自身がどういう状態で在ることが、音楽を奏でる者としての有り様なのか、垣間見ることが出来ました。これらを更に深く観られるようになれば、何か形に出来ることがあるかもしれないとやっと感じられる様になってきております。
◯ ここでは、私の『囲う』パターンを診たり、二極の存り様を焼き、肥沃な堅固な土壌にあちこち種をまく体験をしました。宇宙から見離され無防備で孤独な存り様、立ち尽くす人格と内なる子供の不安や悲しみを味わいました。向こう岸へ渡ると、包容され守られた安心な感じがしました。傷つけてばかりで新たな方法がわからないという内なる子供たちや人格には、徐々にやって行けばいいと。
9つ目のパワーの瞑想:
割烹着を着てキッチンに立つ女性の後ろ姿がスペースに現れた時、そこから意識が非常に拡大していき、「宇宙のお母さんになりたい」と感じました。母性です。瞬間瞬間に新しい意識が、内側の深いところから生み出されていました。例え昨日と同じ行動をとっても、毎回新しくリフレッシュした自由な意識に裏打ちされていれば、つまらない事やうんざりする事は無くなります。日々、何かが繰り返されているように見えても、意識が自由であれば、実際には同じことの繰り返しではありません。過去には、行動(やる事)を変化させることだけがリフレッシュを感じる機会だと信じていました。しかし本当はその逆で、自然に内側から生み出されるクリエイティビティ―が自分にも他者にも十分にあるのだと感じました。向こう岸に渡る前に、全てのレベルにアドヴァヤを浸透させると、意識が宇宙全体を網羅しているという感覚にまで統合されたようです。私の生命の願いを探ると、それは全てと繋がり、全てと一つで、全てが自分でもあり、全部が互いに存在として貢献し合っていることをありのままに受け入れて生きることでした。この瞑想は、そのことを思い起こさせ、達成させてくれる瞑想でした。
◯ 『自己への許し』がどうゆうことなのかやっと腑に落ちました。
(自分の)幻想「私の発言行動想いには影響力がなく誰も追いてこないし、力も貸してくれない、嫌われる恐れ、思いやりや親切心が欠け、相談なしに独断で物事を進め、傷つけ合い、果てには手を引く家族のパターン(それに伴う内なる子供の悲しみ)」を診ました。これからは平和的に慈愛感謝親切心などから対話しコミニュケーションをとり、力を合わせ物事を進めてゆく願望をみいだしました。
10番目のパワーの瞑想:
全てと一つであるという意識は、宇宙の無限のシステムに対して完全に感謝している時の感覚に酷似していました。共鳴が起き続けるのは全てが元は一つだからであり、個のラトナが全てのラトナに共鳴し、全てのラトナが個のラトナにも共鳴してキラキラと輝きます。ダルマダツーはそのようになっていて、意識を向けるといつでもその状態になれると感じました。誰でも、それを体験できると思います。過去世で達成できなかった思いを受けて、今世において選んだ家族は今度こそ達成できるようにと愛情や守護だけでなくハードルも用意してくれていました。生まれてきた目的であり求めていたものは、自由であり解放。そして本当に全てと一つだという意識であり、向こう岸に渡ることでした。ここまで自分を導き、それを可能にしてくれた宇宙への感謝と悦びが湧き上がりました。向こう岸では、多くのクリスタルが輝くドレスを身に纏った美しい白鳥のような女神に遭いました。女神が私の手を取りました。気づくとその女神の姿は消えていて、自分が女神と一つになったのだと感じました。
◯ ここでは、これまで社会は敵で信頼できず心許せず孤独で仲間がいない感覚から一つになる喜びを感じました。家族と不和だった事例と悲しみ二極を手放し、今後は人としてではなく仏として診て目覚めの発言行動想いをして行くことが大事と気づかせて頂きました。腹部の丹田に自然と意識が向くようになり、私も姿勢の意識が変化したように感じます。
11番目のパワーの瞑想:
ここでは、内なる子供達が何人か現れたので、内なる親である私はその子たちを腕に抱えて、一緒に瞑想のスペースに入ることにしました。これまで、如如とした在り様、ありのまま、というのを曲解して狭く捉えていたことに気づきました。人の表現において、ありとあらゆる状態が如如とした在り様だったことに気づきました。如如とした在り様に「成る」ということに執着をして、却ってその在り様を狭く捉え、条件付けを行い、自分をそこに押し込めるようなベクトルがこれまで働いていたことにも気づきました。もっと自分の意識を自由に解放してよかったのだと。外見に拘りすぎる人々に分離感を抱いていましたが、その分離感の底辺を探ってみると、そうした多くの他者を鏡のようにして「私は自分の人生の権威者ではない。周りの目によって条件付けされている」という幻想を見ていたのです。この瞑想によって、そのことが判りました。「私は、その内側も外側も含めて自身が権威者である」「個人の特徴をどのように表現するのも完全に自由である」「ひとつ(一人)の表現は無限の宇宙の表現の一部である」「権威者はその人自身なのだから、お互いに最大限に尊重されてよい。尊重されて当然である」という洞察が次々と得られました。
◯ ここでは、完璧さを求める自己への良し悪し、失敗してよいこと、他者が成長途中にあることを認めること。そして、自己への意識の制限を具体的に見出だし、その囚われから解放し、本来自由な意識であることを体験しました。
12番目のパワーの瞑想:
形(何を行うか)を追い続けてきたのが過去の在り様で、形を変化させることに終始していました。ところが、行動に至る前の女神のような意識とマインドを持つと、行動は自ずとその後について来るのだなと思えます。世界で今もなお継続している戦争、過去に崩壊した古代文明、海の底に沈んだ古代の大陸が意識に浮かびました。ここでまたインナーキッズが現れたので、彼らを腕に引き寄せて共に瞑想のスペースを味わうことにしました。以前行ったキャッスルの別の瞑想で、意識の層を観察しました。その折、中心から見て無数の層になっている巨大なバウムクーヘン状のものとして私は意識体を見出しました。今回は個人の意識だけでなく、地球も宇宙もそれぞれが固有の一つのバウムクーヘンのような意識の層を持っているのが観察できました。この観察の仕方が、何となく私らしいなと感じました。私は自分が意識の成長に執着を抱いていたので、日常で周囲の人々がなかなか気づきを得られないと勝手に思い込んでいました。その想いの底辺には「優秀でなければならない。頑張らなければならない」という信念のようなものがありました。更には、「全てが一つだという意識を常に日常で保っている必要がある。まだ自分にはそれが出来ていない」という執着もありました。それら執着・幻想・イメージを手放すと、それまでは気づかなかった意識の中にある小さな間取りのようなものが取り払われて、小さな壁や枠組みが無くなり、全部が全ての瞬間において新鮮に活き活きとしたものに感じられました。それがこの瞑想での向こう岸の体験です。活き活きとした子供のような意識を再構築したいとこれまで願ってきました。窮屈さを味わったあらゆる関係性を、これからは面白がり、物事をエキサイティングに捉え楽しむ柔軟性を養おうと思います。向こう岸の意識を地上に持ち込むと、直感で受け取ったらすぐに行動している状態になります。行動する前にどっぷりとした思考にはもう入りません。その方が迷いのない人生が送れると思いました。
◯ ここでは、他者の顔色を伺い、感情を逆なでしないよう機嫌をとり、真の自己や知ってる感覚で行動できず、真理で動けない有り様を向こう岸へと移行し、意識を揺るぎなさへと目覚めさせて頂いたように感じました。
◯ 最後の「内なる女神の意識への目覚のグリッドワークをオープンにする」の瞑想では、新たなグリッドが形成される本当に貴重な体験と、今の世界に本当に必要な波動だと実感が湧いて、畏敬と感謝の念が自然と沸きました。人々や国を批判することなく、12の女神の貴重な波動をこの世界に降ろしてくる、このプロセスの一人にならせて頂いたことは本当に光栄なことであります。
シャクティ―のセミナー受講(名古屋)の体験談
1番目のパワーの感想:
三度目の受講です。回を重ねるごとに深いところが診られるようになっています。
☆豊かさの4つの基礎の意識を高めること、
☆力を合わせ物事を進めること、☆影響力がないと思っているのは幻想であること
☆日常どう表現するか手立てとして、勇気、熱心さ、ゆるぎなさ、楽天的、神聖さ、献身的であることに加え、避けてきた会計や計画を立てて取り組むことが出てきました。根本の流れでは「教え育み導く」が見えてきました。
2番目のパワーの感想:
ここでは、マウクシャで私の中の分離良し悪しなどを解放ました。
母の病気を取り巻くサポートアプローチを古いパターンで起こしていることに気付き、『私が』(私のプランがベスト、私は優れいる、主導権など)エゴを手放し全ては一つから診ると力が抜けて溶けてゆく感じがしました。
そして、日常人と比較したり、行動が変わらないことに良し悪しつけたり、分離良し悪し執着を診るとき、特に家族になぜ執着するのか課題です。
日常にどのように表現するかの体験はとても深かったです。右脇腹、腹中心部に痛みが出ました。
ウパチトラ『無』のスペースを意識に任せDNA細胞レベルで書き換え各ボディなどへスパニングしたりしてみました。
究極の豊かさの要素を垣間見た気がします。私エゴを消して、囲わず、独り占めせず、分かち合い交換したり循環させたり、支え合う、助け助けられる、力を合わせる、信頼し委ねるなどの意識を感じました。
後日、家族への執着を診てみました。家族とそれ以外をいろんな面で区分けし分離させていたことに気がつきました。執着を手放すところまではまだ至っていません。
3番目のパワーの感想:
ここでは沢山のサポートを受け導いて頂ていることを感じ涙が流れてきました。
そして、いい大人の次男がなかなか独立しないことを診ました。
次男への私の意識に気づいてもいない深層に「哀れみ」が根付いており、私自身が次男を側に置いておきたい意識執着から起きていたことだと感じました。
光熱費住居費食費を納めさせることだけに意識を向け、教え導けない自分に良し悪しをつけていました。
家族はどこかしら『私のもの』という所有意識があったことに気づき涙が流れてきました。
次男の現状はエゴの私が二極で作り出していたのだと気がつきました。
時間と空間を越えた向こう岸から一人一人が仏としてあることに想いをはせました。
4番目のパワーの感想:
ここでは時間と空間を越え不安や濁ったマインドを濾過し、ピュアにクリアにするような感覚がしました。
準備が出来ている意識にお願いし、堅固な揺るぎないマインドの存り様を診ました。なぜか母のすぐ上のお姉さん(既に他界)の意識と繋がりました。なにかわかりませんが、おばさんのメッセージに涙が溢れてきました。若い頃、親戚のおじさんおばさん達へ勝手な行動をして母に肩身の狭い想いをさせてしまっていたことに気がつきました。私自身がトラブルメーカーでした。
親族の皆さんへの申し訳なさが溢れてきました。
5番目のパワーの感想:
(自分が)これまで数々の人を傷つけてきたこと、話を聴かない、声を聴かない暴君だったことに気がつき涙涙でした。