シャクティ:女神の意識を目覚めさせる(オンライン)

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オンライン 2024.1.27-28(土日) 両日 13:00-18:00 ライブ会場のお申し込みは、「シャクティ:女神の意識を目覚めさせる(東京、名古屋)」からお手続きください

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説明

物質の世界の背後には、それを生み出した精神やスピリットや光の世界があり、スピリットや光の世界の背後には、それをもたらした意識の世界が存在していると言う具合に、顕された世界の背後には、必ずそれを生み出した、まだ顕れていない世界、表現されていない世界が存在しています。そこには、可能性・願望・意図の段階、孕み、育み、誕生をもたらす世界が見出されます。

顕れた世界を、その存在の男性面だとすれば、まだ顕れていない世界は、女性面だと見ることができます。

人においても同様で、性別に関わらず、誰しもが男性面と女性面を備えています。

神々においては、女性面を女神と呼んだり、仏においては、◯◯◯女という名称や別名で表しています。いずれも、その存在を生み出した源泉の意識を示しています。

密教では、仏の男性面である顕れた世界を、金剛界とよび、まだ生じていない段階を胎蔵(たいぞう)としています。

当然のことながら、この男性面と女性面に、優劣や上下はありません。生み出す源泉があって、すべては表現され顕されているわけですがら、どちらかが欠けても存在することはできません。

何かが存在するには、その両方の段階が必須です。それ故に、この両者のバラスはとても大切です。未生の世界が枯渇しても、顕された世界が軽んじられても、歪んだ世界になってしまいます。物質だけを重視して精神を無視しても、それが逆になっても、うまく行かなくなります。男尊女卑でも女尊男卑でも、このバランスは崩れてしまいます。

このバランスが崩れると、分離感や孤立感、根源から断ち切られた虚無感が生まれます。人は、自分でいるだけで満たされると言う感覚を失ってしまいまい、それを補うために、個人レベルでは、パワハラやセクハラやいじめに走ったり、国レベルでは、権力闘争や戦争にエスカレートしたりします。

人類史上、この男女のバランスが、長らく失われた状態が続いており、世界で戦争が絶えない理由の一つでしょうか。

今こそ、そのバランスを回復させるために、女神の意識に目覚める時がきました。すべてのレベルにおいて女性面を目覚めさせる時です。

この2日間セミナーでは、この女性面の意識を、その源泉となる仏のレベルにまで遡り体験します。

セミナーでは、密教で宇宙の根源と見なされている大日如来と、その4つの側面を顕す4仏の女性面の波動にオープンになります。

特に女性面を顕すパワーとして、12のシャクティのエネルギーにもアクセスをします。

5仏の女性面、5大要素、12 のシャクティを通じて、真の自己がもつ女性面を目覚めさせるプロセスを行います。

このプロセスを通じて、何度もの生まれ変わりを通じても回復できなかったバランスを回復させる、貴重な機会が訪れるでしょう。

さあ、各人に宿る女神の意識を目覚めさせませんか。

【受講者からのご感想】

◆ セミナー前はいつも体験できるだろうか受講できるだろうかと人格からの思考が働いてしまいます。
初めの瞑想では、どの技能を使ったらよいだろうか?とかガイドに体験に集中できるようお願いしたりして波動や体験に委ね任せることができず何をやっていたのかわからないままでした。
2つ目(の瞑想)からアナさんのいわれるとおり任せてみると、「何も心配事がない幼い頃の平安で安堵安心な感覚」を味わいました。「どうせ私は独りぼっち。夫が亡くなると生きていけない。私が持つ依存心や傍観者でいる。」恐れと執着、幻想はこれまでも診てきました。
『早くに死んでしまったほうがいい』とまで思っていたことに気がつきました。
人格が持つ慈愛の概念と瞑想で『ひとつになる』慈愛は目覚めの体験でした。人格でどうしても『ひとつ』になれそうにない対人関係を重ねてみたりしました。
Dayaの波動とスペースで幻想手放し、与え与えられる安堵平安な感覚。言葉では表現しづらいですが『ひとつであること』を体験しました。

◆ 全体を通しては、なんとなくはエネルギーを体験していたように感じています。11番目の瞑想で、途中までは、身体には心地の良い感覚を体験していました。その後、眠りに入り完全に夢の世界に入ってしまいました。以前勤めていた会社の人と、自分の家族が出てきた夢をみました。
 少し微妙な夢だったのですが、まだ自分に分離、幻想を持っているのが、よく分かる夢でした。瞑想をしていて、意識のないことはよくありますが、はっきりした夢を見たのは初めてででした。本当の自分からの、分離、執着、幻想が、まだあるとの強いメッセージととらえています。スタールビーの波動を感じたときは、かなり重いものを感じていました。今年に入って、風邪やノロウイルスに感染するなど、体験していますが、なんとなく波動を重く感じていたので、セミナーでのお話しを聴いて納得しました。「まだ生じていない世界」を探る時、「何かあるのがわかる」ところで、留まっていて、それが「何かあるか」が輪郭というかヒントをつかめない所で止まっています。もう少し探れそうな気がするのですが、アドバイスお願い致します。

◆ 本日もセミナーで沢山の気付きをえることが出来ました。
1つ目の瞑想は、幸運の波動をホログラムのスペースで感じているうちに意識がなくなってしまいました。
2つ目の瞑想では豊かさを避けている自分、3つ目の瞑想では分離を持ち込み、慈愛の流れから外れていた自分を見つけることができました。また、慈愛を表現することを難しくしていたこととして、自己犠牲への恐れや“すべき”という価値観が関係していることを見出すことができました。本日は、オープンになり波動と一つになり流れに任せて感じるだけで原因や状態が明らかになり、透明でクリアな空なスペースになれたことは嬉しかったです。丁寧な誘導と、密な波動で繊細で柔らかい抱かれるような印象のスペースに包まれ、穏やかで平安な状態で瞑想を体験したからか、出来ていない自分を見つけても良し悪しを付けずに自分自身を受入れられたことは貴重な体験となりました。

4つ目の瞑想は、休息に良し悪しを持ち込んでいたことに気付きました。
休息からオープニングに至るタイミングや休息の意味と活かし方を知ること、休息する自分を貶めずに活かす必要があるように感じました。
この瞑想で眠っている小さな子供が見えました。この子は、純粋に喜び、楽しみ、夢中になることを知っているようで、今後の人生のカギとなる感覚がありました。
5つ目の瞑想では、すべてのレベルで自己を許せたような気がしました。自己の在るスペースが、クリアさ、透明さを増し、静寂の中に広がり無限へと変容ました。
新しいことに挑むことに分離や良し悪しを持ち込み、制限をかけていたようです。
新しいことを始めることを恐れず、許し、変容を受入れ、空のスペースを拡張し、すべてに資することが本来の流れのように感じました。
許しとは、すべてを受入れ、すべてとなっていくということなのかもしれないと感じました。
6つ目の瞑想では、向こう岸に至るまでは、美を透明な流れのようなものとして感じましたが、向こう岸に至ると背景というか基盤自体の標準(デフォルト)が美で、晴れ渡る空のような感じがしました。この瞑想では如来の姿が浮かんできました。
昨日と今日のセミナーで、地上の世界から向こう岸まで、すべてが瞬間に在る感覚が今までよりも深まっているように感じました。本日のセミナーもたくさんの気付きをいただきました。ありがとうございました。今週末のセミナーも楽しみにしています。

◆ セミナーありがとうございました。今日のセミナーは、気づきが衝撃的だったのでメールします。
 法界のところで、私の人生を振り返った時、家族の死が浮かびそれを見ていくと、生も死も表現の一つにすぎないことに気づきました。永遠の生命力とはこういうことかと思いました。
 また、マイトゥリの時、向こう岸に渡れない自分がいる事に驚き、見ていくと、幼い頃から大人たちに「苦労、努力しなければ欲しいものは手に入らない」と言われ、自分は、未だ努力が足りないから向こう岸に行けないのではないかと、ためらっている事に気づきました。こんな価値観が未だ残っていたのかと驚きました。
 先週とは違って、今回の瞑想は、この次元の自分を深く見ることができました。ありがとうございました。

◆ 今日は、ありがとうございました。
3つ目の瞑想は、生来の自己の美しさをみるものでした。
特定の人や場面をみるというのがありましたが、感情が出てきたり私の良し悪しが出てきたりと誘導についていけない自分が出てきました。向こう岸に渡って、これは、この人の問題だと気づきました。
瞑想が終わって疲れたと思ってしまいました。
家族は、最後まで学ばせてくれる存在です。

◆ 4つ目の瞑想では、これまで無防備であったために傷つくことが多かったけれど包容し守られる感覚を得ました。堂々巡りの思考の根源を炎で焼き瞬時に消すような感覚がありました。
身体と生命力と意識のバランスの崩れで不調が続いていることと、バイタリティーや生命力がどうして失われたかを診ました。
 5つ目の瞑想では、鎖のように繋がれ解放されない意識を感じて自己を許し意識の解放を咳とともに感じました。
自己の美しさでは、自己へのレッテル概念、刷り込みからくる条件づけやサバイバル状況の意識、災害や紛争や騙す陥れるなど美しいとは思えない状況を味わいました。
自分は以前ほど感情にとらわれ動いていないと思っていたのですが、私こそが同調したり傍観者であったり一喜一憂し感情にとらわれ動いていたことに気づきました。中心軸を入れ替えるような感覚があり、大きな気付きを頂いたセミナーでした。

◆ 4つ目の瞑想は、休息に良し悪しを持ち込んでいたことに気付きました。休息からオープニングに至るタイミングや休息の意味と活かし方を知ること、休息する自分を貶めずに活かす必要があるように感じました。この瞑想で眠っている小さな子供が見えました。この子は、純粋に喜び、楽しみ、夢中になることを知っているようで、今後の人生のカギとなる感覚がありました。

◆ 5つ目の瞑想では、すべてのレベルで自己を許せたような気がしました。自己の在るスペースが、クリアさ、透明さを増し、静寂の中に広がり無限へと変容ました。新しいことに挑むことに分離や良し悪しを持ち込み、制限をかけていたようです。新しいことを始めることを恐れず、許し、変容を受入れ、空のスペースを拡張し、すべてに資することが本来の流れのように感じました。許しとは、すべてを受入れ、すべてとなっていくということなのかもしれないと感じました。

◆ 6つ目の瞑想では、向こう岸に至るまでは、美を透明な流れのようなものとして感じましたが、向こう岸に至ると背景というか基盤自体の標準(デフォルト)が美で、晴れ渡る空のような感じがしました。この瞑想では如来の姿が浮かんできました。昨日と今日のセミナーで、地上の世界から向こう岸まで、すべてが瞬間に在る感覚が今までよりも深まっているように感じました。本日のセミナーもたくさんの気付きをいただきました。ありがとうございました。

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