七福神の道:豊かさはあらゆるなかに

¥49,000

2023.5.3〜4

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説明

私たちは、過去23七福神の波動とは何であるのかを探ってきました。この仏たちは、人生体験を形にする波動を表しています。布袋尊は、人生の目的を実現させすることで体験する喜びを形にしています。寿老人は、輝く選考を通じて生命力を形にしています。大黒天は、リソース(資源・資材)を形にし利用することを表しています。福禄寿は、どのような選択肢があるのかを理解した上で賢い決断を下すことを表しています。毘沙門天尊は、真証の自己の体験を表しています。

今年は、リソースを形にしそれを活かしことで創造する、豊かさの役割とは何かを探ります。私たちが遭遇する全ては、無限の豊かさの一部なのです。それを使うことができる技能でもあります。

セミナーでは、豊かさを感じることができる感覚をオープンにし、それを使って、知っている感覚であるジナーナを得られるようにします。そうすることで、あらゆるところに存在し、全てに内在する、無限の豊かさを使う方法を学びます。

私たちは、往々にして、もっと身体レベル、思考レベル、スピリチュアルなレベルが満ちていれば、自分の豊かさの問題を解決できると信じています。

しかし、今という瞬間に全てが存在しているのを見ることができる時、初めて、自分が遭遇するすべての瞬間やすべての中から、リソースを引き出す方法とは何であるかを理解することができるのです!

それは、すべて自己が創造するリアリティの一部でもあります。

セミナーでは、身体、スピリチュアル、ノンデュアリティー(非二元・アドヴァヤ)の体験を使って、統合されたアプローチを生み出し、リアリティとその底辺にある本質を体験します。

それは、自己があらゆるところに存在しており、豊かさをすべてから引き出すことができるという視点に基づいた、新たなリアリティを創造することを可能にしてくれるでしょう。

このセミナーは、自己の豊かさを深めてくれるものとは何か、あるいは、あらゆるレベルで豊かさを消耗させているものとは何かを見出せるよう、みなさんの視点をオープンにしてくれるでしょう。

【受講された方のご感想:49日間チャレンジ】

昨日と今日の胎蔵曼荼羅は後日ダウンロードで体験させていただきます。
新たなレベルが自分にも周りにも開けそうで、何が起こるのかワクワクします。

さて、49日間チャレンジの1週目を終了しました。
回数は本当に少なくしかできませんでしが、目覚ましい実体験に心躍っております。
多分、このチャレンジ瞑想に参加申請をする前から準備は始まっていて、今それを毎日体験できているようなのです。
確かに、本当に、喜びの豊かさはどこにでもあって共鳴しあっていることがわかります。

その一例を挙げますと、我が家の浴室乾燥機が故障したため、しかも雨天ですから洗濯物を外に干すわけにもいかず、洗った洗濯物を袋に詰め、車に積んで、滅多に利用したことがないコインランドリーまで乾燥させにいきました。
以前の私でしたら、面倒なことの1つが起きたと感じたかも知れませんが、何だか珍しいイベントに遭遇しているように感じて、寧ろワクワクしてランドリーに行った時のことです。暫くして乾燥が終わりかけた頃、小さな男の子を連れたお父さんらしき人が、自分の乾燥済みの洗濯物を機械から取り出し始めました。その時、小さな男の子が嬉しそうに口を開けてキラキラした目をお父さんに向けたのです。
すると、乾燥した洗濯物の中から一枚取り出したフワフワのタオルを子供の頭にパッと乗せたのです。次にお父さんはその子の頭からタオルを取り除く。そしてまた別の洗濯済みの衣類やタオルを次々に子供にかけては取り除くことを何度も繰り返しました。
どうやら、それが彼ら親子にとっては行きつけのコインランドリーで行う恒例の楽しい遊びのようなのです。
男の子がそれはそれは嬉しそうな声を上げて、キャッキャと喜び続ける毎に、お父さんの笑顔も広がっていくのです。
その光景を見て思いました。コインランドリーに子連れで頻繁に行くことでこのお父さんも子供もとても楽しんでいるし、大切なコミュニケーションの場なのだなと。見ている私も喜びが湧き上がってきて、思わず「可愛いですねえ!」と声をかけました。すると、そのお父さんも子供のようにアハアハと笑い返して来ました。

この、ちょっとしたタイミングの一瞬の出来事の中に、愛を感じました。

これは単に一例です。いろいろなシンクロが起きています。

凄いですね、このチャレンジ瞑想。明日から2週目に入りますが、1週目の瞑想も、時間を7時7分に設定して後日も繰り返し行います。

サマヤでは瞬間の喜びの在り様をたくさん学ぶことができていて、そこには少なからず内側のキッズ達の声を聞き入れているという側面もあることに気づいております。彼らは喜びを自分だけのものとはせず、シェアするのが大好きなのです。
また、先ほど行ったパマヤを選択しての瞑想では、具体的ではないのですが、何か際限というものがない深い喜びの底辺のような僅かな感覚があり、それはそう遠くない未来にそれが現実の体験となるのか、既に起きていることなのかは判別できませんでした。時間の枠組みを超えていることなのだろうと思います。

また、本来のセミナーの順序とは後先が逆になりますが、「七福神:豊かさは
あらゆる中に」の瞑想は「知っている感覚」に基づいて少しずつ進めています。その中の先ほど行った「5人の七福人のボディーをオープンにする」の瞑想の終盤では、大きな鐘のようなものが2つ以上揺れている映像が見えましたので、それが鳴っているかもしれないと思い、内側で聴く感覚を一層オープンにして集中してみましたところ、やはり鳴っていました。教会の鐘の音を一層まろやかに幅広くしたような波動の共鳴が繰り返されているようでした。
感じ方が一つではなく、意識を向けるとそこに感じ取れるようにもなってきているのが嬉しいです。